孤独・孤立対策からも排除されるもの
概要
政府が孤独孤立対策を始めた。それ自体は歓迎できることである。しかし、各省庁から提出された資料を見ると、実際に孤独・孤立し問題を抱えている人に目を向けているか疑問に思う点もある。関心を向けられないが故に、孤独孤立の状態は起こるが、関心が向けられないが故に孤独孤立対策からも排除される存在があるのではないかという問題を提起する。
政府は孤独孤立対策を始めた
政府が、孤独や孤立する人の問題を解決するため、孤独孤立に対する連絡調整会議を開いた。その内容はホームページに公開されている。下記がそのリンクだ。
まだ、対策をはじめてまもないため、大した資料は載っていない。しかし、連絡調整会議に載せられた各省庁の提出資料は面白かった。
孤独・孤立対策に関する連絡調整会議 配布資料|内閣官房ホームページ
各省庁提出資料はこちら。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodoku_koritsu/dai1/siryou5.pdf
手を差し伸べる属性の偏り
資料を見てみると、政府が 誰が 孤独・孤立していると考えているかよく分かる。
資料の最初は内閣府だが、まず最初に出てくるのは 子供の未来応援機器による居場所づくり だ。子供は最も孤立した人たちだろうか?次はDVだ。そして次は自殺者の資料。この自殺者数の資料はなかなかすごくて、資料では明確に男性の方が自殺しているのに、女性の自殺が 増加 していることを問題として取り上げている。
次のページでも、なぜか女性の自殺者の内訳を話し始める。
次のページでも、女性の支援の話を始める。
と、この資料は読むと、政府が考える孤独孤立する人の属性は、女性,子供,高齢者であることがわかる。
当然そこに、問題があることも承知している。しかし孤立・孤独について考えるなら、本当に考えるべきは、私達は、誰の孤独孤立に 関心がないかをより深く考えるべきだ。
例えば、40代非正規雇用の都市部に住む男性はこの省庁の資料のどこにも当てはまらない。 つまり、彼は、政府の 孤独・孤立対策 からも排除される。
興味も関心も持たれない人
私はこの絵がとても好きだ。
矢を受けた少女には人がよって心配そうに見ている。しかし、一方、更に矢を受けた男性は誰にも関心を持たれずただ立っている。 無論、少女たちも傷ついている。対策が不必要だとも思わない。しかし、私達はもしかしたら無視されている人がいるのではないか?という問を常に立てねばならない。
孤独や孤立 は、この誰にも関心を寄せられない人たちのことを言うのではないか?
それが、孤独・孤立対策の困難でもある。誰も関心を向けないが故に、孤独孤立対策からも排除される。政府もマスコミ受けを考えると、孤独・孤立対策であるにも関わらず、多くの人が関心を持つ属性にリソースを追加したほうが予算効率が良いと考えるだろう。
不可視なものを見つけるという難題
関心や共感を寄せられないので孤独・孤立化しているのに、まさに関心や共感を寄せられないが故に孤独・孤立対策からも無視される。その徹底して不可視な感じがとてもすごい。
真の孤独・孤立対策とは、誰も関心を寄せない人を見つける事業のことだろう。
真の孤独・孤立対策とは、誰も関心興味を持たない人を、常に探し、支援を申し出る事業だ。
追記,孤独・孤立対策に取り組むNPO等への支援
内閣官房提出の政策メニュー
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/corona_hiseiki/dai1/siryou3.pdf
やはり中年男性が利用できそうなメニューはないのであった。